今日も義務感で書き始める。続けることが大事。
このブログには下書きがいくつかあるんだけど、その時何を書こうとしたか、今となってはよく分からないものが多い。
以下はその一つ。
ゲルマンの血をひくといわれる、ミラノを中心とするロンバルディアの人々は、イタリア人に多いシニカルなものの見方がもっとも欠落した人種である。それが東京とおなじく、近代産業の発展の原動力となったことはいうまでもない。
湖を背に、グレイのモーニング、おなじ色のシルクハットをこわきに抱えた瀟洒な青年貴族と、おばあさんが結婚のときに着たという、豪奢なレースの衣装をまとった、うつくしい花嫁の写真は、ヴィスコンティの映画の場面そのままに、完璧で空虚だった。
いま、桃やオレンジの
このかおりが、
おまえをまどわせ、
菩提樹の
ものうさが、おまえをいざない、
なにも考えずに、この街を
ただ歩きたいと、
何も忘れて、
群れ咲くこどもたちの仲間に入れたらと思う。
これは須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」の引用だと思う。
シニカルなものの見方の欠落した人、というのは気になりますね。
今日はとても天気が良い。
雲一つない青い空、文字通り。
日差しが暖かく、暑くも寒くもない。
音楽を聴きながら歩く、という行動が好きで
時々気に入った風景を見つけて、写真に撮るのも好き。
撮った写真は我ながらいいと思う。
約束はしたけどたぶん守れない ジャングルジムに降るはるのゆき
最近好きな穂村弘の短歌。
ジャングルジムに降るはるのゆき、薄ピンク色で想像されるのは、共感覚的なものだろうか。
最近合間を縫ってもっぱら、SEVENTEENの情報収集とか曲を聴いたり映像を見たり、などでどんどん詳しくなりつつあります。
最初は13人覚えるのは無理…と思いながらも、ジョンハン目当てで見ていたのですが
いまは自信を持って誰が誰、と言えます。
最初は、13人いるとパッと見た時にどこにジョンハンいるか分からないまま、映像の場面が切り替わっちゃって、
「え、どこにいたの…」ってなったり、別の人をずっとジョンハンだと思って見ていて、最後にあれ、全然違った、というふうになったりしてたんですが、ポジションや役割、空気感から、そういうことも少なくなりました。
この辺り、動体視力や映像分析力の向上につながっている気がします。
また特有の用語もちょっとずつ覚えていって、そうすると自分の見たい映像や情報にたどり着きやすいんですよね。
メンバーも一人一人覚えていくと、皆にいいところや個性が見えてきて、箱推し的な愛着が湧きますね。
しかし、本当に情報が多い。めちゃくちゃメディア露出が多いままずっとここまできているわけだから、人間としてはすごく大変なんじゃないかなぁ、、と思います。
New Jeansも好きで彼女たちを見ていても思うんですが、好きなもの食べて何も気にせず休める時はゆっくり休んでほしい、という気持ちになるのは、年をとったからでしょうか。
あとエスクプスの魅力の不思議をもっと自分の中で整理したい。
あと今、順序よく曲を好きになっている途中なので、それぞれの自分の好きなところを整理したい。
ここまで書いて、これって今まで私が好きになったものに対して行ってきたことを繰り返しているな、と思います。
別件、理論物理学者の佐治晴夫さんの文章が好きで、連載エッセイを毎月楽しみに読んでいます。