hiro

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何度でも見たい

今、将棋の世界は藤井聡太の時代になりつつあるんだろうが、海外映画においてはティモシー・シャラメの時代だろう。

ギリシア彫刻のような美貌と、繊細なライン、彼が出ているだけで映画の世界が何倍にも香り高くなる。

写真を貼ろうかと思ったけど、彼は映像で見たほうが何割にもその特別さが伝わるので貼らない。

まぁ本当にびっくりするような美青年で、彼の名を一躍世界中に知らしめたであろうルカ・グァダニーノ監督『君の名前で僕を呼んで』はもう何かもかもが眩しい。

ギリシア的な美の観念を投影しつつ瑞々しい水の動きによって現代的な世界と呼応させ、初々しい心の動き・欲望、「君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶから」という呪文のような愛のささやき、忘れ難い映画だった。

 

すっかりティモシー・シャラメのファンになった私は、割と彼の出演作を見ている。

今後公開予定のウディ・アレンの映画も楽しみだ。

私に取ってシャラメは非現実、古い映画でしか知らなかったような本当の映画スターが現代に唯一存在している、みたいな感じ。ものすごく特別な存在感がある。

そして彼が2作連続で出て、おそらくこれからも常連となるであろう映画の監督がグレタ・ガーヴィグだ。

『フランシス・ハ』『レディ・バード』と彼女の映画作品を見ていて、正直物足りなさ、見ている途中で少し退屈になったりもするけど、見終わった後に悪い気持ちにならない、というのが、結構ポイントだと思っていた。

レディ・バード』の主演シアーシャ・ローナンはちょうど幼い天使と女神の中間のような地に足のつかない浮世離れしたオーラと、だが少し古典的な魅力があって、とても好きな俳優だ。

彼女はガーヴィグ監督にとって特別な存在であると思う。自分の分身にしている部分ももちろんあると思うし、ローナンを主演にすることによって、獲得されうるもの・達成されるものをとても上手く引き出している。

 

今回見た『ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語』は、ガーヴィグ前2作に感じた中だるみは全くなく、まず商業映画として非常に高いレベルにあると思った。

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当初は3月公開予定、とても楽しみにしていたが、新型コロナウイルスにより無期限公開未定になったときは、これを見るまでは死ねないと素直に思った。

6月半ばに無事公開されたが、コンディションの良い状態で見ようと思っていたら、なかなか見る機会がなく、そうかフルタイムで働いて特に体力に自信がない人間は、コンディションの良い状態を待っていてはいけないのだ、と気づき、時間に余裕がある時に、勢いで見に行った。

2時間少しの割としっかりボリュームのある映画だが、前半部分からしばしば感極まって涙が出てきた。

若草物語』は小学生かそこらの頃に読んだきりだから、4姉妹の話、くらいしか覚えていない。

でも映画にした時、女性4人がぎっしりと画面にいてなんやかなと動いているだけで、こんなに至福の画面になるのか...と驚いた。

説明するのは難しいのだけど、映画的な幸福が画面から溢れていて、いい俳優がたくさん出ていて、色々なシチュエーションがあり、

そしてローナンとシャラメが無邪気に笑い合っているだけで、涙が出てきたのだった。

こんなにいい場面を見られて本当に最高だ、という感じ。

 

話が進むにつれ、ローナン演じる主人公ジョーという人物に対する愛すべき感じ、彼女が泣いてたり悲しんだりしているときに、こちらも自然と泣けてくる、というのがどんどんハマっていく感じがした。

結局涙がこみ上げる時間が、結構な割合を占めていた気がする。

 

19世紀の物語『若草物語』はもちろん単純に映画化されてなどおらず、かなり大胆な構成と結末が用意されていた。

ガーヴィグ前2作に感じたまどるっこしさは、シナリオの流動的な感じ、現代劇であることに由来するのかもしれないが、『若草物語』という確固たる世界観の枠の中にあった時、この人はものすごく巧みに、現代人に見せて十分相応な物語を生み出すことが可能なのだな、と思った。

 

単純に言ってジョーの生き方には何かしら肯定的なものを感じるし、女性の生き方を力強く示すものである。

かつ映画の中で感じる寂しさというのは、少女時代の幸福、それが時間とともに過去のものとなり、今何かしらの苦しさを感じて生きていかなければいけない、というのは非常に普遍的な人間の宿命みたいなものだし、そういう感傷が非常に美しく過去の4姉妹の暮らしぶりににじみ出ていて、美しいなと思った。

 

物語の進行上シャラメは終盤若干、存在感が薄くなるが、途中まではやはりとっても「映画的」だ。端正でドラマティックな存在である。

女性陣よりも美しいのだ。というか、女性陣たちは最初は本当に愛らしいのだが、歳月とともにリアルになっていくというか、美しさよりも人生の苦しさを隠さないようにメイクや演出がなっていくと思う。最終盤に、姉妹3人が並んで歩いているシーンの時、エマ・ワトソンシアーシャ・ローナンもフローレンス・ピューも、びっくりするくらい綺麗に撮ろうとしてないなと思った。

三者三様どこかアンバランスでリアルな人間の姿になっているのだ。

だが、姉妹の姿に込められる愛情は映画全編を通して変わることはない。美しく撮らないことと愛がない撮り方は全く別だと思うし、ここでいう美しさというのは狭義のつまらないもので、深みで言ったら、とても美しい姿と言える。

 

この映画でしか見られない世界がある、と何度も思った時、これから何度でも見たい、シアーシャ演じるジョーに、シャラメ演じるローリーに、もちろんそれだけでなく挙げきれない様々なシーンに、また会いたいと思った。

ガーヴィグはこれからもシアーシャ・ローナンを主役にして映画を撮っていくのだろうか?

両者ともものすごく順調に評価されている気がする。

彼女の映画の中で、俳優たちはみな風通しのよい雰囲気を放ち動いていて、見ていてけっこう楽しい。