hiro

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Cocco

Coccoの曲を聴くたびに

印象が新しくなる

 

私がCoccoを知ったのは中学生のとき読んだ

南条あや卒業式まで死にません」という手記でだった。99年に18歳で、自殺と言っていいのか、早逝した彼女の、自傷行為を含め日々を綴ったなかでCoccoのライブのビデオを見る箇所などがある。

彼女の好きなCoccoとはどんな歌を歌っているんだろう?というところから始まり、CDをほぼ全部聴いた。

それは2000年代半ば、ちょうど2001年に「焼け野が原」を歌い活動休止していたCoccoがまた歌を人々に届け始めていた頃だった。

 

最初のとっかかりから

どこか人を不安定にする希死念慮に近い存在という先入観があり、それは私の中に根強く続いていた。

 

それから20年経って今も折に触れ聴いていて思うのは

Coccoはとてもパワフルで前向きで未来に向かっている、ということだ。

それは長い時間を経ないと分からないことだった。

 

Coccoの曲の切なさは

前世の夢を見て涙を流しながら目を覚ます、ようなところだと思う。

(実際に前世の夢を見たわけではないけど)

Coccoの歌詞の世界は原始的な自然と同一化した人間の世界、まっすぐな感情、失われた純粋な世界を

こちら側から懐かしんでいるような弔っているような感じがする。

 

それは現在の世界を死に導くものではなく

今を生きているということで

希死念慮とは反対のものだということに

やっと気づけたような気がする。

 

デビューして20年を超え、昔の歌もいまの歌も歌っているその声を聞けていなければ分からないことだと思う。

時間と存在はセットであって

その力強さを感じなければならない。

 

 

ただずっと分かっていなかったわけではなくて

まず私が初めてCoccoを聴き始めたとき

ユニットでの活動や活動再開などがあり

彼女は第二段階にいたと思う。

 

それまでに出していた曲にも、とっかかりを感じる部分はあり

そこで感じていた小さな違和感を大事にせず

どこか最初の先入観を捨てきれていなかったんだと思う。

 

重ねていうがCoccoの曲は

切ない夢を見て涙を流しながら目を覚ます感覚に似ている。

その、水が流れるようなエモーショナルな感じが好きだ。

そして、そのアンニュイさとともに生きていけるようになったら

その隠された前向きさに気がつかなくてはいけない。

 

Coccoの90年代的な受容を引きずることなく

当時の歌もいまの歌も

その美しさ、強さに気がつかなければならない。