2020年に見た映画で良かったもの、よくも悪くも印象が強かったものについて。
最近、アメリカで暴徒化したトランプ支持者が議事堂に乱入したニュースを見て、改めて現実はフィクションを斜めに上回るものだと思ったが...
2020年6月に早稲田松竹でのロメロ特集で「死霊のえじき」「ゾンビ」を見た。
現実のニュースで見た議事堂に押し入る人々の様は、まさにゾンビそのもので、よく言われるところの「ゾンビがある種の人間の姿の示唆するところである」ということを改めて思い出した。
2020年1月に
寺山修司監督「田園に死す」「書を捨てよ、町へ出よう」、松本俊夫監督「薔薇の葬列」「修羅」を見た。
好みとしては「田園に死す」、「修羅」である。
どちらも撮影は鈴木達夫。
「田園に死す」のラスト、母親とちゃぶ台をはさんでの食事のシーンで突如、背景が倒れて新宿東口付近の街並みになり、延々とエンドロールまで続くシーンの、どこまで行っても逃れられない鬱屈と息苦しさの表現は、映画的実験の成功と可能性を示す。
「修羅」は、鶴屋南北の狂言などを基にした時代劇で、撮影の腕が光っていた。印象としては、いかにも時代劇というか、時代劇を見ているときに感じる紋切り型のスタイルの積み重ねによる濃密な閉塞感があった。
しかしその上で、この映画すごいな、というのは、画面の「鋭さ」だと思う。
モノクロームの世界であるが、境界がぼやけない。凄惨な人殺しのシーンでは、きりきりとした緊張感のもと、鬼になった人間の悲しさ、恐怖をそのまま伝えてくれる。
ワンシーンで横長の重層的な空間を無駄なく伝える構図の鋭さ。その中で人物の動き、ひいてはストーリーの流れを自然に直感的に見るものに伝えてくれる。
2月に見たのは
438分(7時間18分)もある、まずは長さで記憶されるであろう映画。
途中で寝ることなく見ることができたのは、映し出されるこの世の果てのような暗い風景が好みだったからだと思う。
ある小さな村にイルミアーシュという男が訪れ、という話ではあるが、7時間もあるので細々と色々な話が積み重ねられ、個人的にあまりイルミアーシュがどんな男だったかあまり印象にない。ここまで長い必要はあるのか?という疑問は残るが、稀有な映画体験といえばそうなのだ。こういう映画を作り、評価を得るというのはきっとすごく難しい。何に評価を与えるかは人それぞれだが、誰にも見えていない、しかし本当にある世界の一部を切り取ることができる、という点だろうか。
屋外のシーンの、道を延々と歩く人の姿や、雨ばかり降っている終末的な世界も割と好みだが、私は古びた部屋の中で老人が机に座りかちゃかちゃと水差しから水(酒?)をついだり、タバコを吸ったり本を開いたりと様々なことを行うのを延々と至近距離で映している様が頭に残っている。
結末がまた最初に繋がっていくという円環状の構造となっており、見た後にまたおかしな時空に迷い込みそうな映画である。ボルヘスなどの短編の読後感と似ているといえば、似ている。
あと、ロシアのアレクセイ・ゲルマン監督「神々のたそがれ」を見た後の感触とも似ていた。
タル・ベーラは他に「ニーチェの馬」を見たけど、よく2時間台の映画的長さに収めてくれたな、とまず思ってしまう。
スーザン・ソンタグは「サタンタンゴ」について「残りの人生で毎年見たい傑作」というコメントを寄せているが、本当に毎年見たのか、少し気になる。
2月にはエリック・ロメールの映画4本立て(海辺のポーリーヌ、満月の夜、緑の光線、レネットとミラベル)も見に行った。
これは「サタンタンゴ」と対極にあるようなスタイル(90分ほど、おしゃれ、軽やかに繰り出されるセンスの良さ)で、私は素直に声高に「大好き!」と言えるような映画群である。
初見だったのは「レネットとミラベル」。
レネットを演じているジェシカ・フォルドがとても素敵だった。
4話仕立てになっており、最初の話だけ舞台が田舎、残りは都会を舞台にしている。どのシーンも良くて目が離せなくてうずうずするのだが、映画的といえば最初の「青の時間」。 夜明け前の一瞬ブルーになる世界を二人で見に行く、という話。
おとぎ話のようなシンプルさ、シンとした美しい自然風景と二人の姿は、心の大切な部分に残しておきたくなる。
5月にふと見たのはグザヴィエ・ドラン「たかが世界の終わり」。
ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティリャール、ヴァンサン・カッセルといったフランス人俳優の幕の内弁当みたいなキャストの中でも、やはりドランの映画なので、一番「持って」いるのは主人公の母親(ナタリー・バイ)だ。
息子の目をまっすぐに見て、「驚いた、あなた、お父さんとそっくりな目になっている」と涙ぐんで話すシーンを見ると、やられた、と思う。
7月に見に行ったのは、ギャスパー・ノエ「CLIMAX」。
人里離れたところに集められたダンサーたち、パーティーでの飲み物にLSDが混入されており、そこから生まれる阿鼻叫喚の一夜、という話。
こういうゾクゾクするようなセンスの良い映画は大好き。予告編を見るだけでわくわくする。
前作「LOVE」は男女の官能的な関係の末の顛末を描いた内容なのに、なぜか3D限定で公開され、延々と男女のベッドシーンを3Dで見続けるというある意味貴重な映画体験をした。(そういえば、「LOVE」の主人公を演じた男性がゾーイ・クラヴィッツと結婚し離婚してましたね)
残るものはあったが(雨降りしきるなか、修復不可能となった男女が「僕たちは自分が思うほど才能がなかった」と言い合うシーンとか)、正直商業的にこの監督は大丈夫なのかしら、と思ったりもした。
しかし「CLIMAX」のカオスは素晴らしく、最初のダンスシーンはそれだけで何回見ても興奮する。カメラがぐわんぐわん回るシーンとか3Dで見ても良かったな、と思う。
素でハイになれる映画だ。
予告編で最後に出てくるノエの言葉がまたいい。
「カノン」をさげすみ
「アレックス」を嫌悪し
「LOVE 3D」をののしった君たち
今度は「CLIMAX」を試してほしい
僕の新作だ
8月には夏っぽく、トラン・アン・ユン監督「夏至」を見た。
この監督の映画も、湿度の高さとみずみずしさが伝わってくるような映像の色味や、セットの細々としたこだわりが好きだ。
2020年には3月に同監督の「ノルウェイの森」を見た。
高良健吾演じるキズキと松山ケンイチ演じるワタナベがビリヤードをするシーンとか好きだけど、松山ケンイチが寒い冬に海近くの岩場で声をあげて泣くシーンを見たときは、その微妙さに、この監督は寒い場面を撮ることに向いていないな、と思った。
そういえば、キズキとワタナベが自転車で走りながら桃を食べ合うシーンがあって、あれ、この映画こんなに直截的な比喩シーンがあるのか、それとも素直に見た方がいいのかしら、などと驚いた。
「夏至」については、女性たちの美しさに終始目がいってしまったな...目の輝き、黒々とした髪、含みのある赤い口元。
とてもきれいに対象を撮る監督。緑が美しい。
トラン・アン・ユンという映画作家についてはもっと解説などを読みたいところ。ベトナム性とフランス性の両側面など。以前に「青いパパイヤの香り」も見たけど、根底にあるのは透明な視点を通した憧憬なのだろうか、などと思ったり。
ひとまずこのへんで。