hiro

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2022/4/10

このブログもあまりにも書かない時期が続いているため

何も書くことはなくても毎日書くことを強制的に自分に課そうかなと思っているこの頃である。

 

2021年の振り返りもできなかった。

村田沙耶香の『地球星人』に抱腹絶倒のち切実な無鉄砲に心がぎゅっとなったことや

川上弘美の『某』がとても好みでしばらくその世界から戻れなかったことなどが

自分の中で文章にして整理することができていない。

 

ティモシー・シャラメを再確認するために『君の名前で僕を呼んで』を見返したことなども。

 

なぜ書かなくなったかというと一重に自分の怠惰である。

そしてこの類の怠惰は恐ろしく、いつの間にか私は語るべき言葉をなくしてしまったのだった。

語るべき語彙をなくすということは、感受性をすり減らすことにつながる。

感受性をすり減らすということは、日々生きていく中で自身の内面や外界で起こっていることに鈍感になるということである。

「鈍感力」という言葉は良い意味でも使われていて、確かにそちらの「鈍感力」はいいものだと思う。『動物のお医者さん』の菱沼聖子みたいな感じでしょ?

しかし、悪い意味での「鈍感力」はなんだかつまらなくなる。おかしいなぁ、心が動かない。

という感じ。

と言いつつ、合間合間に面白いことはあるのだが、すぐ忘れてしまう。

パウル・クレーの「忘れっぽい天使」が思い浮かぶ。

 

そういう意味で、無理やりにでも毎日何か書いた方がいいかもしれない、と思った。

 

題して今日の日記。

初めての美容院に行った。

渡された雑誌は「GINGER」。私のプロフィールから無難に選んだものだろう。

今まで一度も読んだことはないが。

しかし最新号とその前月号をしっかり読んだ。他にすることがないので。

特に面白かったのは、巻頭に載っている山田詠美の連載コラム。

きゃー、山田詠美久しぶりじゃー、と静かにテンションが上がった。

山田詠美のさまざまな小説に思春期時代、知らない世界に衝撃を受けたり楽しく丁寧に読んだりしていた。

今の思春期の人たちもきっと山田詠美読んでるでしょう?

全然知らんが。

別に山田詠美さんは思春期専用の作家ではなく、老若男女(←これをローマ字で正しくタイプするのが大変だった)が読む日本を代表する現代作家だと思いますが。

個人的にはやっぱり10代の景色が浮かぶ。今よりも文庫本が安かった頃。

 

君の名前で僕を呼んで』2回目の鑑賞では

主人公エリオを演じるティモシー・シャラメはもちろんだけど、アピチャッポン映画で撮影しているサムヨプー・ムックディブロームのカメラによる夜や夜明けの風景、エリオの父の言葉、エリオの母(アミラ・カサール演じる)のかっこよさ、が印象的だった。

 

エリオの父は、オリバーと別れたエリオに対して次のように語りかける。

 

人は早く立ち直ろうと自分の心を削ぎ取り、30歳までにすり減ってしまう。

新たな相手に与えるものが失われる。だが、何も感じないこと、感情を無視することはあまりにも惜しい

いまはひたすら悲しく苦しいだろう。痛みを葬るな。感じた喜びも忘れずに

 

↓からの孫引用。

realsound.jp

 

30を過ぎた私にはこの言葉がすごく刺さるのです。

しかもそれは言われる側としてではなく、言う側の実感として。

つまりすでにすり減った後なのだろう。

いやはや、この類の言葉が刺さる日が来ようとは

山田詠美を読んでいた14歳の私は思ってもみなかったね。