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四月は最も残酷な月

「四月は最も残酷な月」で始まる、T.S.エリオットの詩「死者の埋葬」。

===メモ===

APRIL is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.

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4月はなんとなく憂うつだ。

新生活など始める人ならば憂うつなのに、色々やることが多くてしんどいだろうな。

できればあまり動かずに過ごしていたい月だ。

特に何かあるわけではないけど、「四月は最も残酷な月」という言葉がすんなり来る。

まず雨の降り方が人を憂うつにさせる。

重い雨が静かに長く降り続け、生ぬるい空気が覆う。

桜はきれいだがすぐに散ってしまう。

来年も桜は咲くだろうが、果たして人間社会は来年も機能しているのだろうか。

心もとない気分になる。

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しかし「四月は最も残酷な月」とはよく言ったものだ。

エリオットなど全然詳しくないのに、そんな人間に対してもこうもしっくり来る魔法のような言葉を出してくる詩人は、やっぱりすごいと思う。

ちなみに、パウル・ツェランの「死のフーガ」という詩。

夜明けの黒いミルク

僕らはそれを晩にのむ

僕らはそれを昼にのむ 朝にのむ

僕らはそれを夜にのむ...

という詩を初めて読んだ時も、なぜだか分からないがひどく心に残った。

解説を読まないとこの詩の背景などは分からないのに、日本語訳されてなお残る言葉のインパクト、深い悲しみに驚いた。

「夜明けの黒いミルク」。これだけで途方もない人間世界の悲しみ、複雑さが迫ってくる。すごいフレーズだとしみじみと感動する。詩人は偉い。詩人はすごい。ギフトだ。

 

年々時間が経つのが早くなり、いつの間にか桜の花も散り、葉桜になっていた。

八重桜はまだ花がついているかな。

22年前の1998年4月、相模原市に引っ越して、転入する小学校の校庭に咲いていた八重桜と藤の花を母と取ったことを思い出した。

電話番号が新しくなって覚えられなかったこと、「すすきの町」というまるで絵本に出てくるような地名の場所に住んでいたこと、夏にはチェックのワンピース2枚を毎日交互に着て、くしを通さない髪の毛で登校していたことを思い出す。

10年前の2010年4月に上京した。行きの新幹線で、もうここが「住むところ」ではなくなることが不思議だった。そして東京に「住む」ということもよく分からなかった。

2010年4月は天気が悪い日が多く、不安で憂鬱だった記憶がある。

桜も全然目に入らず、初めて操作する学内のMacに手間取り、いろんなIDとパスワードをメモしていた。

最高学府に入学したのに、晴れ晴れとした気分にあまりなれなかった。生ぬるい風と悲しくなるような春の日差し、すぐに寒くなる夕暮れ。

あれから10年が経ったわけだ。

 

高校生の頃、詩を読むことの特別は、「余白」への憧憬だと思った。

詩のページには余白が多い。しかし、その余白には無限に何かが描き込まれていることに気づいた。その詩が書かれた時代の情景、温度や湿気やにおい、風、といったものをありありと感じることができた。あれは奇跡的な瞬間だったことにいま気づく。

なぜなら、今詩集を読んでも、あの時ほどありありと感じることはできないから。あの頃、確かに何ものに邪魔されない純粋な感性を持っていたのだ。

しかし別に悲観的になったりはしない。専門家には遠く及ばないにしても、あの頃より知識も増えたし、読むことへの理性や分別がついたおかげで、視野が広まり、「夜明けの黒いミルク」に初見で感動することができるようになった。

歩いているときに、心もとない気持ちになれば、詩を頭に浮かべる。

世界が、歴史が、とても残酷なことを思い起こさせてくれる。

そして私自身がここに何事もなく存在していることが、とても(私にとっては多分)幸運であることに気づく。

予測不可能で何にも意味がない世界だから、唐突にパンデミックが起きてどんどん人が死んでいく。

存在というもの自体は、そもそも闖入者なのだろうと思う。

昔「寄生獣」というマンガで寄生獣というのは人間なのか、ミギーなどの寄生生物なのか?というやや反語的な問いがあったが、主体・主観という物差しを取ってしまえば、どっちもどっちなのだろう。

「あまりいじめてくれるな、私たちは弱いのだから」と言い残して、作中哲学的な思考を遂げる女性キャラクターは死ぬ(寄生生物は「死ぬ」んだっけ?)、これについてはいまだに色々と考えてしまう。

「夜明けの黒いミルク」というのは歴史上の数々のおぞましい事柄(ユダヤ人であったツェランにとってはナチス)によって死んでいった名もなき弱者のおびただしい犠牲、それを絶えず僕たちは飲み込んでいくのだ、ということだったと思うが、なるほど予測のできない出来事の積み重ねでなんとか成り立つ世界において、黒いミルクを飲みながら生きていくその脆弱性は、忘れてはいけないのかなぁと思ったりする。